猫に小判、抹茶に羊羹

役に立つことは多分ない。美味なるものには毒がある

レディースデーは差別か

 世にはびこるレディースデーだの女性限定の類。個別で見れば「その程度のこと」かもしれないし、世に言う法律家な方々も営業戦略の一つだからと大目に見ているようだけども、それがこれだけ蔓延するようになってしまうと、少し考え方を変えた方が良いだろう。

 仮に百歩譲って一つ一つを取り上げたら確かに差別にはあたらないとしても、それらが100個、200個、1000個・・と集まってくれば差別しているのと同じことであり、そこに参加・賛同しているというのは、「差別」という神輿を担いでいるということだ。

 仮に前者を個別的差別、後者を総体的差別と呼んでおこう。レディースデーや女性専用とするサービス類は個別的差別ではないかもしれないけど、総体的差別である。

 似たようなことは、さまざまな迷惑行為や嫌がらせ、イジメの類にも言えるだろう。一人一人がやっていることは許容しうるレベルだとしても、それが集団になってくれば、良いとは言いがたくなってくるものである。

 

 レディースデーを導入する理由として、女性客の方が価格に敏感だからとか、女性が選べば男性もついてくるからとか、まぁいろいろとその場の思いつきのような言い訳を並べて、これを根拠に「差別ではなく、区別だ」とする論理展開が良く見られる。

 

 でも、それを根拠にするなら「メンズデー」を導入することは違法だということになってしまう。なにせ、レディースデーを導入するためにひねり出した言い訳が全部通用しないのだから。もし、メンズデーも問題ないとするなら、そもそも性別で分ける意味が無いということになる。更に言えばセクシャルマイノリティはどうするの?っていうことにもなってくるだろう。

 この点だけ見ても「営業的に・・」というのがまったく根拠になっていないということが良くわかる。

 

 だからどうしろということでもない。ただ、こういう明らかに破綻している論理を振りかざして己の行動の正当性を主張するというのは、無様であり、みっともないということだ。

 一方だけを値下げするということはもう一方だけに高い料金を請求するということでもあるし、高い側には来るなと言っているのと同じことだ。

 堂々と最初から「私たちは総体的差別に加担しています。レディースデーの日は男性の方はご遠慮ください」と胸を張って言えば良い。差別じゃないんだぁ!なんて、遠吠えをする必要は無い。