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猫に小判、抹茶に羊羹

役に立つことは多分ない。美味なるものには毒がある

草食系だの絶食系だのと言われてもね

 草食系だの絶食系だのと言う。そして、やれ傷つきたくないからだとかなんだとかと言い出すのがいる。本当にそうかな?

 多分もっと根本的なところは「面倒くさい」ということであり、面倒くさいことになるのは、「美味しいものが見えない」ということではないのかな。

 人が努力しようと思い、努力を続けられるのは、そこに美味しいものがあるからだ。つまり、それなりの報酬が得られるから努力しようと思うのだ。勉強でも運動でも何でも、その道に進もうと思った人は、何らかのReward(報酬)を感じ取っているはずだ。たとえ、それが他人からは自己満足と言われるようなものであったとしても、それがその人にとっての「報酬」であればいいわけだ。

 

 「結婚/恋愛したがらない男性」の「コスパが悪い」という意見に対して「目先の損得勘定にとらわれている」なんて上から目線で書いている人がいる。じゃあ、目先の損得じゃないメリットはあるのかといえば今度は「恋愛や結婚をメリット/デメリットで考えるのはおかしい」などと、これまた偉そうな言葉を吐いてしまっていたりするのがいる。

 でも、それはやはりおかしい。崇高で高邁な思想のために死をも選ぶ人がいることは否定しないけれど、そうした聖人君主だの俗世間を超越したような人とは違う我々凡人は「そこに得るものがある」からこそ努力しよう、頑張ろうと思うものだ。

 色々なことを習得するのだって嫌々やっていたって駄目だ。「好きこそ物の上手なれ」というのは脳科学的にも正しいということがわかっている。

 

 恐らく、「損得勘定じゃない」とか「メリット/デメリットで考えるのはおかしい」などという言う人は「得することはほとんどないし、デメリットが多い」ということを暗に認めているようなものだ。

 そして、一見そうしたもっともらしく美化してはいるけど、結局は「恋愛」だの「結婚」だのが自分にとっての最大のメリットであり、努力して手に入れる価値のあるものだ、そしてその価値は絶対的なもので、その価値は否定されるはずがないと思っているのだろう。いわば「恋愛至上主義者」だ。PEA(フェニル・エチル・アミン)のおかげで恋愛状態にある自分に酔っているだけだと言われても仕方が無い。

  車の改造に何百万というお金をつぎ込んでいる人にとっては「こんなに楽しいことは無い。ノーマルのまま乗っているなんてありえない」と言うだろうし、「改造なんかに金をかけてどうするの?」と問われれば「損得勘定で考えるようなものじゃない」と、恋愛至上主義者と同じような言葉を返してくるだろう。

 

 こういうことを書くと、必ずといって良いほど「恋愛はそれらとは違う。人と人とのつながりであり、人間性を高め、視野を広げるのだ」とかなんとか言ってくる。口が止まらなくなる人はこの先に、恋愛しないやつは人間性に問題がとか、コミュニケーション能力がどうとか、人格否定のような言葉まで吐きたがるものだ。

 でも、こうして字面にしてしまえば、もはや議論ではなく宗教・・信仰の領域になっていることが良くわかるだろう。

 おおよそ、どんなものにでも、他とは違う、他では得られないメリット(と、本人が思っているもの)はあるものだ。だからこそこの世の中には多種多様な趣味があり、学問がある。

 

 時に恋愛至上主義者は、家族が持てるとか、子供がとか、時には将来孤独死するぞとかいう脅かしまでするけれど、じゃあ、結婚したら離婚は絶対しませんと保証できるのか、必ず子供が健常児で、将来自分たちの面倒を見るものだと言い切れるのかとか、結婚したら孤独死は絶対無いと言えるのかなど、突っ込みどころだらけの言葉しか出てこない。ただ、こうした言葉を吐いているというのは、その人にとってのRewardは、家族だの子供だの、孤独死回避の可能性だのというものなのだろう。しかし、それが万人にとって魅力的とは限らないということにもう少し想像力を働かせたほうがいい。

 

 さて、「そこに得るものがある」というのはどういうことだろう。「scarcity creates value」だったか・・要は「欠乏が価値を生む」という言葉があるように(仮にダイヤモンドであっても、それが海辺にいくらでも落ちているようなものだったら、高価なものにはなりえない)、「自分に無いもの」を求めたがることはごく自然なことだ。(もちろん、近いもの同士くっつくというパターンもあることも否定はしない)

 男女平等が叫ばれて、やれ差別だ、ジェンダーだなんだと言い出したのはいいけれど、気がついたら男性ならではというものも、女性ならではというものも無くなって、今や単に「reproductive organ」が違うだけの人間にしか見えなくなりつつある。

 

 男性が好きな女性を評するときに良く使う言葉に「かわいい」がある。「かわいい」が女性のみならず子供に使われることからもわかるように、「保護すべき対象」としての魅力が男性にとってそれなりのウェイトを占めていることは恐らく確かだ。

 だが、今や女性は「保護する対象」ではなく、同じ土俵の上で対等な関係にある。いわば「ライバル」である。「かわいい」に代表されるような魅力はもはや失われた、あるいは大幅に縮小したのだと言って良いだろう。

 

 近年の女性の間での「カワイイ」の爆発的ともいえるような蔓延は、それ自体のエンターテイメント性とともに、「守れらる立場としてのメリットを得たい、価値を高めたい」という無意識の願望が含まれているようにも見える。しかし、回りだしてしまった車はおいそれとは止まらないだろうし、逆向きに走り出すことも無い。

 

 魅力のない、あるいは魅力の薄くなってきているものをあえて手に入れようとして努力するものは少なくなっていくのが当たり前だ。「コスパが悪い」という言葉の本質は、表層的な「投下するお金に対する対価の大小」ではなく、「”自分には無いものを持っている人”としての魅力が感じられず、得たいという衝動が起こらない」ということだろう。