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猫に小判、抹茶に羊羹

役に立つことは多分ない。美味なるものには毒がある

”好きな人と一緒にいられる”ことは結婚のメリットにはならない

厚生労働省の「出生動向基本調査」の結果である。 

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000138824.pdf

 

色々データはあるけど、「図表Ⅰ-1-6 調査別にみた、各「結婚の利点」を選択した未婚者の割合」を見ると、結婚の利点が

1)子供や家庭が持てる

2)精神的安らぎの場が得られる

3)親や周囲の期待に応えられる

という具合に続くけど、2)が減少方向で1)と3)がかなりの増加傾向

更に女性の場合には

4)経済的に余裕が持てる

 がどんどん伸びていっている。女性の場合1)~4)のすべてが20%超えなのに対して男性は20%を超えるのは1)と2)だけ。

 「愛情を感じている人と暮らせる」っていうのは結構ありがちなパターンかと思ったら14%前後しかいない。一緒に暮らすことがメリットとは考えられていないということだだろう。しかも2)の項目と連動するように下がっている。

 まり、家庭に精神的な安らぎを感じたり、愛情を感じている人と過ごせるなんていう、いわゆる「幸せ一杯新婚カップル」な感覚は現代にはまったくそぐわなくなり、より打算的に結婚というものが捉えられるようになったということだろう。

 

 1)が何故メリットなのかはわからないけど、3)とセットにして考えると「まだ結婚しないのか、子供はまだか・・・」みたいなプレッシャーが強くなっていて、それが解消されるからだと考えるとわかりやすそうだ。

 

 つまり、現代の結婚は、単に承認欲求を満たしたいだけ、つまり自分が”結婚した”、あるいは”子供を持った”という事実が欲しいだけ(女性の場合にはこれに加えて「金が欲しい」だけ)ということだ。

 

 ついでに「図表Ⅰ-3-4 調査別にみた、結婚相手の条件として考慮・重視する割合の推移」を見ると、これまた女性の強欲さが良く現れている。

①人柄 ②経済力 ③職業 ④容姿 ⑤学歴 ⑥家事・育児の 能力 ⑦仕事への理解 ⑧共通の趣味

 とあるうち、「考慮する」とした項目は「学歴」が50%代なだけで、ほかはすべて70%を超えていて、90%台が4項目もあるという具合。あれもこれも、全部!という、貪欲・強欲さ・・・まぁ自分のことは棚に上げて言いたい放題、わがまま放題という雰囲気が良く伝わってくる。

 

 こうした結果をじっと見ていると、結婚して協力していこう、夫婦で一緒に頑張っていこうなんていう思いはまったく伝わってこない。

 そういえば、婚姻中の女性で「夫と同じ墓に入るのは嫌だ」という方が1/3もいるという話もある。男性は割りとロマンチストが多くて、リタイヤした後は墓の中まで一緒にいられると思うようだけど、現実はそんなものなのだろう。

 

 男性にとっての結婚は空想や妄想に多大な金をつぎ込む、道楽浪費のひとつでしかないのだろう。いわば、キャバ嬢やホステスさんに財産のほとんどをつぎ込んでいるのとそれほど変わらないのだということを自覚した方が良いのだろう。

 もちろん、それでも本人が楽しく幸福感を持っているならそれでかまわないことではある。ただ、こうしたことを是と考えない男性が増えてきたとしても、それは単に男性が賢くなっただけのことである。

 結婚したがらない男性を非難するのはまったくもって筋違いというものだ。

「男女の賃金格差」の胡散臭さ

 さて、これまたあちこちで目にするのが「女性の平均所得が男性の7割程度だ。これは差別によるものだ」という類のもの。

 先日も引用させてもらった、ビジネス誌「プレジデント」のサイトの記事にあった正規社員の平均年収グラフ

http://president.jp/articles/-/20926?page=4

 を見ると、未婚者に限ると男女とも同じようなカーブを描いている。20代で250万円前後で、50歳あたりで500万程度と、ほとんど変わらない。

 大きく違うのは既婚者の平均で、男性が680万円程度まで上がるのに、女性は未婚者よりも下がっていって400万円に届かないくらいとなる。これは正規雇用だけのデータなので、いわゆる「女性は非正規雇用が多いから」というのは当てはまらない。

 年齢が上がれば既婚者の比率が高くなっていくので、「平均」した賃金格差は広がるのはこのグラフから見ても一目瞭然というところだ。

 

 さて、ここでニューズウィーク誌のサイトにあった年収別の生涯未婚率

http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2015/09/post-3882_2.php

を見てみる。

非常に良くわかる傾向として、男性が収入が高いほど未婚率が低く、逆に女性は未婚率が上がるという傾向が見られる。

 もちろん、これだけだと「結婚すると高収入をめざさなくなるから」とも言えそうだけど、

ここに、男女の職業別の未婚率

http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2015/09/post-3882.php

をみると、もともと高収入な職についている女性は結婚しないん(あるいはできない)んじゃないかという予想がでてくる。

そして、男女別の職業を調べた、内閣府の調査

http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h25/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-02-05.html

を見ると、女性の場合、一般事務やサービス職が非常に多いなど、職業に偏りが見られる。男性がほぼ万遍なくいろいろな職についているのとは対照的である。

そして、職業別の賃金は?というと、ちょっと手ごろなものが無かったので結構適当だけど

https://www.hatalike.jp/h/r/H1ZZ280s.jsp?hp=%2Fresearch%2Findex.html&noRedF=1&__u=1489191898724-2303909657631850434

こんな感じで、一般事務というのはあまり給与水準は高くない。どちらかというと女性に敬遠されがちな「ガテン系」は高い水準にあったりもする。

 

 ということから整理すれば、この男女の賃金格差というのは、職業ごとの賃金の差が反映されているのだと言う方が正しいだろう。

 

 既婚女性の賃金カーブが下がっているのが問題だという向きもあるかもしれないが、そもそも「職業」による差があるのは当然であるし、仮に同じ職業であっても、既婚女性の場合、男性のように大黒柱的な役割を期待されることもないのでそれほどあくせく働く必要性がなかったりもするだろう。いわゆる「家庭との両立」となれば、やはり目先の収入より少し時間の融通がきくような職種を選ぶというのも頷ける。もちろん、バリバリとキャリをを積みたいという層もあるだろうが、近年特に若い層に広がっているといわれる専業主婦志向や、現実に仕事から逃げるための結婚を夢見ている層が相当程度いる。

 バリバリキャリア志向以外はおかしいなどと言うのは、全体主義のようなものだ。

 

 こうしたことを踏まえて改めて考えてみると、高収入な男性と低収入な女性が結婚する形になるので、既婚者の平均年収が下がるのはあたりまえだ。そして、中間層あたりになるので、未婚者の男女の収入差は小さくなることになる。

 抜けていく(結婚していく)人が増えるほど男性の平均給与は下がり、女性の平均給与が上がるという形になることから考えると、アラサー、アラフォーな女性が「(主に収入面をとりあげて)良い男性がいない」というのも至極当然なことである。

 

 もし、女性が配偶者の収入を期待する結婚をしたいなら、若いうち・・つまり自分の給与が上がっていく前にしたほうが賢明であるということになるだろうし、ある程度年齢がいったなら、自分と同等、またはそれ以下の収入の男性を視野に入れなければ駄目ということになる。

「未婚男性は短命」は本当か

 良く目にするのが「未婚男性は既婚男性より寿命が8年くらい短い」というもので、「だから結婚した方が良い」という結論に導くというもの。もっともこれは少し間違いがあって、「既婚」ではなく「有配偶者」としたほうがいい。

 この理屈にどうも疑問を感じるので調べてみた。

 

https://www.asahi-kasei.co.jp/arc/service/pdf/824.pdf

 の表1を見てみよう。実は離別(つまり、離婚)した場合、未婚者よりも余命が短くなるという傾向が見て取れる。一方女性の方はむしろ伸びるというのだから、「家族のために・・」なんて頑張っているお父さんはまったくもって報われない。

この統計で注目しておくのは、平均余命の推移だ。1955年から1995年の間で、平均余命は

有配偶男性:+7.0歳

死別男性  :+9.0歳

離別男性 :+4.5歳

未婚男性 :+12.9歳

ということで、未婚男性の余命の差が6歳程度も縮まっている。さまざまな要因が考えられるけども、1980年から1985年くらいにかけて急に差が縮まったところが面白い。

 現在、結婚しても1/3くらいは離婚してしまうようだけど、それを加味すると、結婚した人と未婚の人の寿命の差は5歳くらいになってしまう。

 

 ところで、「平均」という言葉はかなり注意が必要だ。確かに数学的な意味では平均値が取れるけれど、それを「母集団全体がそのような属性を持っている」という風に勘違いしてはいけない。たとえば、年収1000万円の人が10人ずつ地区Aと地区Bに住んでいて、ここに年収500万円の人が10人、B地区に住んだとしたらそれぞれの平均年収はAが1000万円のままなのに対して、Bは750万円となる。でも、だからとちって、B地区にもともと住んでいた人の年収が下がっているわけではない。

 同じ理由で、他の条件が同じなら同じ余命・・すなわち結婚しているか否かに関係ないはずなのに、結婚していない側に短命な人の割合が増えればその分、平均余命は短くなる。

 このため、たとえば結婚しているのかどうかというのが大きな要因だというためには、他の要因による影響が無いようにしなくてはならない。

 では、今回の場合「他の要因」は無いのだろうか。ここですぐに思い浮かぶのが年収だ。男性の婚姻率と年収に相関関係が見られるということからもわかるとおり、未婚者と既婚者では平均年収が違うだろうということは容易に想像できる。

 そこで、年収と寿命の間に相関があるのかを検索してみると、米国での調査結果が見つかった。それによると、年収の上位10%と下位10%では平均寿命に10歳の差がある。この差はほぼ年収に比例する。つまり、ちょうど中間あたりの層を基準にすると年収によって±5歳程度変化があるということだ。

 そして、未婚者と既婚者の間の年収がどうなっているか探すと

http://president.jp/articles/-/20926?page=4

 という、面白いグラフがでてきた。

 未婚者の場合、男女の年収格差はほとんど無い。既婚男性は未婚男性よりも圧倒的に収入が高くなる。一方、女性は既婚者のほうが低くなる。「男女の年収格差」の実態についてはまた別の機会にしよう。

 

 ここからわかるとおりで、平均年収が高い層が結婚しているため、「婚姻中」の層の方が平均年収が高くなる。そして「年収と平均寿命」の関係と重ね合わせれば、婚姻中の人の平均寿命が長いという結果がでるのは至極当選である。

 つまり「婚姻中か否か」という属性によって、平均収入に差のあるグループを作り出していたということだ。

 

 それでもなお「内助の功」を主張するのもまた自由ではある。ただし、平均寿命の伸びが未婚者を大きく下回っているという現実をみれば、その功は今のお年寄り世代よりはるかに小さくなっている、つまり以前のような貢献度は無いという結論には同意せざるを得ないだろう。

 

 結婚したからといって、寿命が延びるわけでもないし、結婚しないからといって寿命が縮まるというものでもないと言うより無いだろう。

 しかも、ものの調査によると、仕事中より家庭にいるときのほうがストレスを強く感じているらしい。女性の場合、離別したほうが平均寿命が延びるというのもこのことが指摘されている。実は同じことが男性についても言えるのではないだろうか。

 

 つきつめてしまうと「結婚とは命を削って幸福感を得ようとするもの」ということになる。身も蓋もないどころか、まるで薬物中毒のようなものだという結論になってしまうけど、それもまた事実として受け入れざるを得ないかもしれない。

「高め合う」の胡散臭さ

 「互いに高め合う恋愛」などという言葉を目にすることがある。「互いを高め合う」だの「一緒に高め合う」だの「成長しあう」だのと形を変えることもある。

 しかし、それってどういう意味なのだろう。そう思って検索してみると、結局みんな適当なことを言ってるだけ。例によって「一瞬わかるような気がするだけで、実はまったく意味不明な、’雰囲気語’」の類だろう。

 面白いのはこうした言葉を吐くのはほとんどが女性であるということ。男性側から「互いに高め合うような恋愛がしたい」なんていう言葉を聞くことはほとんど無いといっていい。

 

 相手のことを良く知るとか、相手のことをより思いやるといった類のことであるなら、別にあえて言うようなことでもないし、たぶん「高める」という表現はとらないだろう。

 自分が相手から得るものがある、相手の言動や考え方が自分では思いもよらぬものであって、より物事を深く考えたり、立ち振る舞いを見直すきっかけになるといったことを「自分自身を高める」というならまだ意味としては通りそうだが、ここでもう一点引っかかるのが「高め合うような恋愛が’したい’」という表現だ。

 

 もちろん、そうしたものを相手の中に見出したいという部分もあるだろうけども、そうした自分からの積極的なアクションだけではないものを感じるのだ。それは恐らく自分が愛されている感・・もっとシンプルに言ってしまえば、自分が心地よく、そして時には同性の友人に自慢のできるような満足感を得ることでもあるのだろう。

 

 ここまで来るとなんとなく読み解けてくる。つまり「自分から相手に向かうリスペクトと、相手から自分に向けられるものへの満足感」という二つを混ぜて「互い」という表現に繋がっていると考えるとしっくりくる。

 

 なるほど、この意味なら、この言葉を使うのがほぼ女性に限定されているということも良くわかる。

http://www.anniversaire.co.jp/brand/pr/soken1/report01.html

 にある「結婚相手に求める条件」などを見ていても、女性はあれもこれもと要求が多い。

 男性の側の要望というのは「性格が合う」「思いやりを感じる」「癒される」といった、もので、それも5~7割程度。ベスト4以下は50%以下になってしまう。

  それに対して女性の側はというとべスト5のほぼ全てが50%以上。これより下はまだまだ続くのだろう。あれもこれも・・・見事なまでの強欲ぶりである。「意地汚い」と言っても良いのかもしれない。

  産まれてから甘やかされて育ってきたためなのか、女同士の横並び意識のせいなのか、本能のなせる業なのかわからないけれど、こうしたあれもこれも・・・と全部取りしたがる傾向は、他の分野でも良く見られる。セロトニンの分泌量が少なく、「満足する」ことが苦手だということもひとつの原意なのかもしれない。

 

 強欲じゃない!あくまでも相手と「お互いに」なのだと主張するのかもしれない。では、それを受け入れてみたらどうだろう。

 それはすなわち「自分の方がこんなに立派なんだから参考にしろ」だの「自分が相手に与えたものに満足しろ、喜べ」ってことになる。それは尊敬や感謝の押し売りである。実に傲慢きわまりない考え方である。

 

 「独りよがりで傲慢で強欲」これが「互いに高めう」という言葉の実体だと見て良いのだろう。

レディースデーは差別か

 世にはびこるレディースデーだの女性限定の類。個別で見れば「その程度のこと」かもしれないし、世に言う法律家な方々も営業戦略の一つだからと大目に見ているようだけども、それがこれだけ蔓延するようになってしまうと、少し考え方を変えた方が良いだろう。

 仮に百歩譲って一つ一つを取り上げたら確かに差別にはあたらないとしても、それらが100個、200個、1000個・・と集まってくれば差別しているのと同じことであり、そこに参加・賛同しているというのは、「差別」という神輿を担いでいるということだ。

 仮に前者を個別的差別、後者を総体的差別と呼んでおこう。レディースデーや女性専用とするサービス類は個別的差別ではないかもしれないけど、総体的差別である。

 似たようなことは、さまざまな迷惑行為や嫌がらせ、イジメの類にも言えるだろう。一人一人がやっていることは許容しうるレベルだとしても、それが集団になってくれば、良いとは言いがたくなってくるものである。

 

 レディースデーを導入する理由として、女性客の方が価格に敏感だからとか、女性が選べば男性もついてくるからとか、まぁいろいろとその場の思いつきのような言い訳を並べて、これを根拠に「差別ではなく、区別だ」とする論理展開が良く見られる。

 

 でも、それを根拠にするなら「メンズデー」を導入することは違法だということになってしまう。なにせ、レディースデーを導入するためにひねり出した言い訳が全部通用しないのだから。もし、メンズデーも問題ないとするなら、そもそも性別で分ける意味が無いということになる。更に言えばセクシャルマイノリティはどうするの?っていうことにもなってくるだろう。

 この点だけ見ても「営業的に・・」というのがまったく根拠になっていないということが良くわかる。

 

 だからどうしろということでもない。ただ、こういう明らかに破綻している論理を振りかざして己の行動の正当性を主張するというのは、無様であり、みっともないということだ。

 一方だけを値下げするということはもう一方だけに高い料金を請求するということでもあるし、高い側には来るなと言っているのと同じことだ。

 堂々と最初から「私たちは総体的差別に加担しています。レディースデーの日は男性の方はご遠慮ください」と胸を張って言えば良い。差別じゃないんだぁ!なんて、遠吠えをする必要は無い。

草食系だの絶食系だのと言われてもね

 草食系だの絶食系だのと言う。そして、やれ傷つきたくないからだとかなんだとかと言い出すのがいる。本当にそうかな?

 多分もっと根本的なところは「面倒くさい」ということであり、面倒くさいことになるのは、「美味しいものが見えない」ということではないのかな。

 人が努力しようと思い、努力を続けられるのは、そこに美味しいものがあるからだ。つまり、それなりの報酬が得られるから努力しようと思うのだ。勉強でも運動でも何でも、その道に進もうと思った人は、何らかのReward(報酬)を感じ取っているはずだ。たとえ、それが他人からは自己満足と言われるようなものであったとしても、それがその人にとっての「報酬」であればいいわけだ。

 

 「結婚/恋愛したがらない男性」の「コスパが悪い」という意見に対して「目先の損得勘定にとらわれている」なんて上から目線で書いている人がいる。じゃあ、目先の損得じゃないメリットはあるのかといえば今度は「恋愛や結婚をメリット/デメリットで考えるのはおかしい」などと、これまた偉そうな言葉を吐いてしまっていたりするのがいる。

 でも、それはやはりおかしい。崇高で高邁な思想のために死をも選ぶ人がいることは否定しないけれど、そうした聖人君主だの俗世間を超越したような人とは違う我々凡人は「そこに得るものがある」からこそ努力しよう、頑張ろうと思うものだ。

 色々なことを習得するのだって嫌々やっていたって駄目だ。「好きこそ物の上手なれ」というのは脳科学的にも正しいということがわかっている。

 

 恐らく、「損得勘定じゃない」とか「メリット/デメリットで考えるのはおかしい」などという言う人は「得することはほとんどないし、デメリットが多い」ということを暗に認めているようなものだ。

 そして、一見そうしたもっともらしく美化してはいるけど、結局は「恋愛」だの「結婚」だのが自分にとっての最大のメリットであり、努力して手に入れる価値のあるものだ、そしてその価値は絶対的なもので、その価値は否定されるはずがないと思っているのだろう。いわば「恋愛至上主義者」だ。PEA(フェニル・エチル・アミン)のおかげで恋愛状態にある自分に酔っているだけだと言われても仕方が無い。

  車の改造に何百万というお金をつぎ込んでいる人にとっては「こんなに楽しいことは無い。ノーマルのまま乗っているなんてありえない」と言うだろうし、「改造なんかに金をかけてどうするの?」と問われれば「損得勘定で考えるようなものじゃない」と、恋愛至上主義者と同じような言葉を返してくるだろう。

 

 こういうことを書くと、必ずといって良いほど「恋愛はそれらとは違う。人と人とのつながりであり、人間性を高め、視野を広げるのだ」とかなんとか言ってくる。口が止まらなくなる人はこの先に、恋愛しないやつは人間性に問題がとか、コミュニケーション能力がどうとか、人格否定のような言葉まで吐きたがるものだ。

 でも、こうして字面にしてしまえば、もはや議論ではなく宗教・・信仰の領域になっていることが良くわかるだろう。

 おおよそ、どんなものにでも、他とは違う、他では得られないメリット(と、本人が思っているもの)はあるものだ。だからこそこの世の中には多種多様な趣味があり、学問がある。

 

 時に恋愛至上主義者は、家族が持てるとか、子供がとか、時には将来孤独死するぞとかいう脅かしまでするけれど、じゃあ、結婚したら離婚は絶対しませんと保証できるのか、必ず子供が健常児で、将来自分たちの面倒を見るものだと言い切れるのかとか、結婚したら孤独死は絶対無いと言えるのかなど、突っ込みどころだらけの言葉しか出てこない。ただ、こうした言葉を吐いているというのは、その人にとってのRewardは、家族だの子供だの、孤独死回避の可能性だのというものなのだろう。しかし、それが万人にとって魅力的とは限らないということにもう少し想像力を働かせたほうがいい。

 

 さて、「そこに得るものがある」というのはどういうことだろう。「scarcity creates value」だったか・・要は「欠乏が価値を生む」という言葉があるように(仮にダイヤモンドであっても、それが海辺にいくらでも落ちているようなものだったら、高価なものにはなりえない)、「自分に無いもの」を求めたがることはごく自然なことだ。(もちろん、近いもの同士くっつくというパターンもあることも否定はしない)

 男女平等が叫ばれて、やれ差別だ、ジェンダーだなんだと言い出したのはいいけれど、気がついたら男性ならではというものも、女性ならではというものも無くなって、今や単に「reproductive organ」が違うだけの人間にしか見えなくなりつつある。

 

 男性が好きな女性を評するときに良く使う言葉に「かわいい」がある。「かわいい」が女性のみならず子供に使われることからもわかるように、「保護すべき対象」としての魅力が男性にとってそれなりのウェイトを占めていることは恐らく確かだ。

 だが、今や女性は「保護する対象」ではなく、同じ土俵の上で対等な関係にある。いわば「ライバル」である。「かわいい」に代表されるような魅力はもはや失われた、あるいは大幅に縮小したのだと言って良いだろう。

 

 近年の女性の間での「カワイイ」の爆発的ともいえるような蔓延は、それ自体のエンターテイメント性とともに、「守れらる立場としてのメリットを得たい、価値を高めたい」という無意識の願望が含まれているようにも見える。しかし、回りだしてしまった車はおいそれとは止まらないだろうし、逆向きに走り出すことも無い。

 

 魅力のない、あるいは魅力の薄くなってきているものをあえて手に入れようとして努力するものは少なくなっていくのが当たり前だ。「コスパが悪い」という言葉の本質は、表層的な「投下するお金に対する対価の大小」ではなく、「”自分には無いものを持っている人”としての魅力が感じられず、得たいという衝動が起こらない」ということだろう。

結婚したほうがいいと思いますか?

例によって資料から

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webgaiyoh/html/gc-1.html

図4で、

「必ず結婚したほうが良い」「できればしたほうが良い」「無理してしなくても良い」「しなくて良い」

ということで、20代と30代の男性・女性という区分けになっている。

 

面白いなと思ったのが、

1)既婚女性の比率構成は年齢にあまり関係なく、「必ずしたほうが良い」が10%弱、「できればしたほうがいい」が60%弱、「無理してしなくても良い」が30%程度という感じで、したほうがいい派7割、しなくても良い派3割というところ。

2)未婚女性の場合、20代は「必ずした方がいい」が15%「できればしたほうがいい」が、55%弱。「無理してしなくても良い」が30%程度ということで、やはり7:3という感じ。既婚女性とあまり変わらない。

3)これが未婚女性の30代になると一気に「無理してしなくても良い」が増えて40%を超えて6:4となってくる。「必ずした方がいい」も減ってはいるけど、「できればしたほうがいい」の落ち込みが激しい。

 

4)男性の場合、未婚者は、20代、30代とも「しなくていい」という強い否定をする人が3.3%、6.1%とグラフに現れるほどいる。「無理してしなくても良い」も、それぞれ25%程度、30%程度という具合でいずれも年齢があがるとやや増加する。

5)男性の既婚者で「しなくていい」は極めて少ない。だが、20代では「結婚した方がいい」派は、未婚者を下回り、「しないほうがいい」派が未婚者を上回る。

6)これが、30代になると逆転する。

 

といったところ。

 

・女性の未婚30代は「諦め派」

 女性の場合、既婚者や20代の未婚者では結婚したほうが良いかという意識にあまり差は無いのに、30代になると急激に「無理してしなくて良い」が増加。二極分化かな?とも思うけど「しなくていい」率はそれほど変わらなくて、増えているのは「無理してしなくても」ということなので、これは諦めなのか高望みしすぎでもはや相手が存在しなくなってしまったということなのだろうか。

 

・20代男性は結婚に後悔?

 一方、男性の場合、20代では結婚に後悔しているような感じが漂ってくる。このことが未婚男性の「しなくて良い」という強い否定にも繋がっているのだろう。ただ、これが30代になると逆転するというのが面白いところ。それなりに幸せな結婚生活を送っているから・・ということなら良いのだけど、20代の後悔ぶりを見ると、これは後悔組みが離婚によって「既婚」集団から離れてしまった可能性がありそうだ。

 

・男性は「結婚する派」と「しない派」の二極分化

 男性未婚グループの「しなくて良い」という強い否定などもあわせてみると、男性の場合「結婚する派」と「しない派」に二極分化しているようである。

 これは以前に想像した、「男性は結婚したがるグループと、あまり興味が無いグループに分かれている」というものとも一致する。