猫に小判、抹茶に羊羹

役に立つことは多分ない。美味なるものには毒がある

草食系だの絶食系だのと言われてもね

 草食系だの絶食系だのと言う。そして、やれ傷つきたくないからだとかなんだとかと言い出すのがいる。本当にそうかな?

 多分もっと根本的なところは「面倒くさい」ということであり、面倒くさいことになるのは、「美味しいものが見えない」ということではないのかな。

 人が努力しようと思い、努力を続けられるのは、そこに美味しいものがあるからだ。つまり、それなりの報酬が得られるから努力しようと思うのだ。勉強でも運動でも何でも、その道に進もうと思った人は、何らかのReward(報酬)を感じ取っているはずだ。たとえ、それが他人からは自己満足と言われるようなものであったとしても、それがその人にとっての「報酬」であればいいわけだ。

 

 「結婚/恋愛したがらない男性」の「コスパが悪い」という意見に対して「目先の損得勘定にとらわれている」なんて上から目線で書いている人がいる。じゃあ、目先の損得じゃないメリットはあるのかといえば今度は「恋愛や結婚をメリット/デメリットで考えるのはおかしい」などと、これまた偉そうな言葉を吐いてしまっていたりするのがいる。

 でも、それはやはりおかしい。崇高で高邁な思想のために死をも選ぶ人がいることは否定しないけれど、そうした聖人君主だの俗世間を超越したような人とは違う我々凡人は「そこに得るものがある」からこそ努力しよう、頑張ろうと思うものだ。

 色々なことを習得するのだって嫌々やっていたって駄目だ。「好きこそ物の上手なれ」というのは脳科学的にも正しいということがわかっている。

 

 恐らく、「損得勘定じゃない」とか「メリット/デメリットで考えるのはおかしい」などという言う人は「得することはほとんどないし、デメリットが多い」ということを暗に認めているようなものだ。

 そして、一見そうしたもっともらしく美化してはいるけど、結局は「恋愛」だの「結婚」だのが自分にとっての最大のメリットであり、努力して手に入れる価値のあるものだ、そしてその価値は絶対的なもので、その価値は否定されるはずがないと思っているのだろう。いわば「恋愛至上主義者」だ。PEA(フェニル・エチル・アミン)のおかげで恋愛状態にある自分に酔っているだけだと言われても仕方が無い。

  車の改造に何百万というお金をつぎ込んでいる人にとっては「こんなに楽しいことは無い。ノーマルのまま乗っているなんてありえない」と言うだろうし、「改造なんかに金をかけてどうするの?」と問われれば「損得勘定で考えるようなものじゃない」と、恋愛至上主義者と同じような言葉を返してくるだろう。

 

 こういうことを書くと、必ずといって良いほど「恋愛はそれらとは違う。人と人とのつながりであり、人間性を高め、視野を広げるのだ」とかなんとか言ってくる。口が止まらなくなる人はこの先に、恋愛しないやつは人間性に問題がとか、コミュニケーション能力がどうとか、人格否定のような言葉まで吐きたがるものだ。

 でも、こうして字面にしてしまえば、もはや議論ではなく宗教・・信仰の領域になっていることが良くわかるだろう。

 おおよそ、どんなものにでも、他とは違う、他では得られないメリット(と、本人が思っているもの)はあるものだ。だからこそこの世の中には多種多様な趣味があり、学問がある。

 

 時に恋愛至上主義者は、家族が持てるとか、子供がとか、時には将来孤独死するぞとかいう脅かしまでするけれど、じゃあ、結婚したら離婚は絶対しませんと保証できるのか、必ず子供が健常児で、将来自分たちの面倒を見るものだと言い切れるのかとか、結婚したら孤独死は絶対無いと言えるのかなど、突っ込みどころだらけの言葉しか出てこない。ただ、こうした言葉を吐いているというのは、その人にとってのRewardは、家族だの子供だの、孤独死回避の可能性だのというものなのだろう。しかし、それが万人にとって魅力的とは限らないということにもう少し想像力を働かせたほうがいい。

 

 さて、「そこに得るものがある」というのはどういうことだろう。「scarcity creates value」だったか・・要は「欠乏が価値を生む」という言葉があるように(仮にダイヤモンドであっても、それが海辺にいくらでも落ちているようなものだったら、高価なものにはなりえない)、「自分に無いもの」を求めたがることはごく自然なことだ。(もちろん、近いもの同士くっつくというパターンもあることも否定はしない)

 男女平等が叫ばれて、やれ差別だ、ジェンダーだなんだと言い出したのはいいけれど、気がついたら男性ならではというものも、女性ならではというものも無くなって、今や単に「reproductive organ」が違うだけの人間にしか見えなくなりつつある。

 

 男性が好きな女性を評するときに良く使う言葉に「かわいい」がある。「かわいい」が女性のみならず子供に使われることからもわかるように、「保護すべき対象」としての魅力が男性にとってそれなりのウェイトを占めていることは恐らく確かだ。

 だが、今や女性は「保護する対象」ではなく、同じ土俵の上で対等な関係にある。いわば「ライバル」である。「かわいい」に代表されるような魅力はもはや失われた、あるいは大幅に縮小したのだと言って良いだろう。

 

 近年の女性の間での「カワイイ」の爆発的ともいえるような蔓延は、それ自体のエンターテイメント性とともに、「守れらる立場としてのメリットを得たい、価値を高めたい」という無意識の願望が含まれているようにも見える。しかし、回りだしてしまった車はおいそれとは止まらないだろうし、逆向きに走り出すことも無い。

 

 魅力のない、あるいは魅力の薄くなってきているものをあえて手に入れようとして努力するものは少なくなっていくのが当たり前だ。「コスパが悪い」という言葉の本質は、表層的な「投下するお金に対する対価の大小」ではなく、「”自分には無いものを持っている人”としての魅力が感じられず、得たいという衝動が起こらない」ということだろう。

結婚したほうがいいと思いますか?

例によって資料から

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webgaiyoh/html/gc-1.html

図4で、

「必ず結婚したほうが良い」「できればしたほうが良い」「無理してしなくても良い」「しなくて良い」

ということで、20代と30代の男性・女性という区分けになっている。

 

面白いなと思ったのが、

1)既婚女性の比率構成は年齢にあまり関係なく、「必ずしたほうが良い」が10%弱、「できればしたほうがいい」が60%弱、「無理してしなくても良い」が30%程度という感じで、したほうがいい派7割、しなくても良い派3割というところ。

2)未婚女性の場合、20代は「必ずした方がいい」が15%「できればしたほうがいい」が、55%弱。「無理してしなくても良い」が30%程度ということで、やはり7:3という感じ。既婚女性とあまり変わらない。

3)これが未婚女性の30代になると一気に「無理してしなくても良い」が増えて40%を超えて6:4となってくる。「必ずした方がいい」も減ってはいるけど、「できればしたほうがいい」の落ち込みが激しい。

 

4)男性の場合、未婚者は、20代、30代とも「しなくていい」という強い否定をする人が3.3%、6.1%とグラフに現れるほどいる。「無理してしなくても良い」も、それぞれ25%程度、30%程度という具合でいずれも年齢があがるとやや増加する。

5)男性の既婚者で「しなくていい」は極めて少ない。だが、20代では「結婚した方がいい」派は、未婚者を下回り、「しないほうがいい」派が未婚者を上回る。

6)これが、30代になると逆転する。

 

といったところ。

 

・女性の未婚30代は「諦め派」

 女性の場合、既婚者や20代の未婚者では結婚したほうが良いかという意識にあまり差は無いのに、30代になると急激に「無理してしなくて良い」が増加。二極分化かな?とも思うけど「しなくていい」率はそれほど変わらなくて、増えているのは「無理してしなくても」ということなので、これは諦めなのか高望みしすぎでもはや相手が存在しなくなってしまったということなのだろうか。

 

・20代男性は結婚に後悔?

 一方、男性の場合、20代では結婚に後悔しているような感じが漂ってくる。このことが未婚男性の「しなくて良い」という強い否定にも繋がっているのだろう。ただ、これが30代になると逆転するというのが面白いところ。それなりに幸せな結婚生活を送っているから・・ということなら良いのだけど、20代の後悔ぶりを見ると、これは後悔組みが離婚によって「既婚」集団から離れてしまった可能性がありそうだ。

 

・男性は「結婚する派」と「しない派」の二極分化

 男性未婚グループの「しなくて良い」という強い否定などもあわせてみると、男性の場合「結婚する派」と「しない派」に二極分化しているようである。

 これは以前に想像した、「男性は結婚したがるグループと、あまり興味が無いグループに分かれている」というものとも一致する。

男女の恋愛動向

 暇にまかせて、リクルートのブライダル総研とかの2013年の調査結果を眺めてみた

http://www.recruit-mp.co.jp/news/library/pdf/20130801_01.pdf

 未婚男女についての調査で「恋人がいるか」という結果が面白い。未婚に限るので、結婚するとこの調査から外れることになる。

 

 さて、男性の場合には「恋人あり」がほぼ20%程度で横ばいを続けること。そして「いない(つき合ったことがある)」が増加し、「つきあったことがない」が順調に減っている。

 つまり、結婚してこの調査から抜けた人くらいの比率で「恋人がいる」状態になっているわけだ。

 

 一方、女性の場合には「恋人あり」が5ポイントから10ポイントくらいで減り、「いない(つきあったことがない)」は10ポイントから5ポイント減少。「いない(つきあったことがある)」が15ポイントずつくらい上昇するという傾向にある。

 

 興味深いのは「恋人がいる」と答えている方が女性のほうがずいぶんと多いということ。極端な年の差はそれほど多くないという前提でこれを合理的に解釈しようとすると、「男性が恋人だと思っていない」か、あるいは「男性が二股をかけている」ということになるけど、それだけではいささか多すぎるので、ここには離別した男性、つまり「バツあり男性」と未婚女性というペアが確実に一定比率で存在するのだろう。

 20代、30代前半くらいだと、結構わかりやすく「モテる未婚男性」というのはいるわけだし、結婚したものの短期で離婚に至ったというケースも多いだろうということは想像しやすい。

 

・男性は年齢に応じてモテ期が変わる?

 男性はおおむね恋人ありというのは常に2割くらいとあまり変わらない。もし「好かれる人」が結婚でどんどん抜けていけば「恋人あり」の比率はどんどん下がっていくはずだけど、そうではない。

 つまり、未婚の友達の中で恋人がいる比率はほぼ一定。結婚して抜けた人がいても、次に誰かが恋人ありになっているという、「順送り」な図だ。たぶん、男性の場合には、それぞれの年齢層によってモテるタイプが入れ替わっていることが予想できる。つまり「20代でモテるタイプ」「30代でモテるタイプ」「40代でモテるタイプ」・・がいるのだろう。

 

・女性のモテは若いときで決まる?

 一方、女性の方はどんどん「恋人あり」率が減っている。つまり、未婚の友達の中で「恋人あり」の比率がどんどん下がっている状態となる。下がった分は恐らく結婚していってるわけだ。

 というところから読み解くと、女性の場合恋人ができる人は若い頃にほぼ決まってしまっていて、あとはいつ結婚するかという違いだけという構図になっているようにも見える。

 

 女性の方が結婚に対して焦るというのは、もちろん年齢的な妊娠・出産可能な年齢のリミットというものもあるけど、こうした「置いてけぼり感」が影響しているのかもしれない。

 

 こんなグラフひとつからこんな風に読んでみるのもまた一興だろう。

「女性の脳の方が動きが複雑」はちょっと違うんじゃないかな

 これまたよく言われるのが「女性の脳はマルチタスクでいろいろなことを同時にこなすことができる」「女性の脳の方が動きが複雑だ」というものだ。ただ、脳は基本的に色々なことを同時にできていることは確かなのだ。だから、TVを見ながら鼻くそをほじるなんていうことができる。実際に人間が何気なくやっていることをこれをロボットでやらせようとすると、それなりに大変なことになる。

  さて、もはやどこが本家なのかわからないけど、こんな図がある。上が男性の脳の部位ごとの情報伝達、下が女性の脳の情報伝達を示すらしい。

f:id:MacchaNeko:20170217180040p:plain

 男性の場合、前後方向の結合が、女性の場合左右方向の結合が強いことが見てとれる。

 脳の役割分担というのは、前後方向に向かって分かれているわけで、ざっくりといってしまえば、同じ構造のものが二つ左右に分かれて配置されていて(左脳と右脳)その間を脳梁と呼ばれる部分がつないでいる。

 

・男性の脳は祖結合デュアルプロセッサシステム

 男性の場合に前後方向への結合が強いということは、つまり左脳・右脳をひとかたまりのシステムとして稼動させ、両者を祖結合させたということだろう。祖結合のデュアルプロセッサシステムという感じか。まったく種類の異なる情報処理機構をひとつの目的に向かって集中的に利用し、それぞれの部位での処理結果を相互にやりとりすることで、複雑な情報処理を実現しているのだろう。

 とかく「女性の方が複雑な・・・」という人はいるけど、たぶん「複雑」の意味が違っている。集団で狩猟をするようなときを考えると、さまざまな情報を取り込み、五感で得られる情報や、地形や獲物の特性など、自分の記憶に基づく情報、更には共同で狩をしている(恐らくは姿も見えない)仲間の動きなどを全部寄せ集め、論理的な思考と組み合わせて獲物を追い詰め、仕留めなくてはならないわけだ。事態は刻一刻と変化する。これに的確に対処しないと仕留めるどころか自分の命さえ危うくなる。これが「複雑ではない」とするのはどう考えてもおかしい。

 男性の脳は、さまざまな処理部位を統括制御し、高速処理するのが得意なのだということだろう。

 

・女性の脳は密結合マルチプロセッサ 

 一方、女性の場合、左右の同じ部位同士の結合が強い。左右それぞれを結合させて、比較的狭い範囲で密に処理しているように見える。

 男性の脳に比べるとグラニュアリティ(粒度)の小さい処理単位が固まった密結合マルチプロセッサシステムのようだ。

 密結合マルチプロセッサでそれぞれの部位が勝手に動作できるということが「複数のことを同時に処理できる」となるのだろう。ただ、このネットワークを見ていると、左右の同じような部位が結合しているので、何をするにも左右の同じ部位が働く、つまり脳梁を経由して情報をやりとりしないといけないわけで、これは通信ネットワークに非常に大きな負荷をかけることになるだろう。

 また、前後方向のつながりが弱いというところからすると、異質な情報を組み合わせて統括的に処理するのにはあまり向かないように思える。

 「女性の脳はマルチタスク」というよりも、「比較的狭い部位だけで処理ができる基本的な処理がいつも複数同時進行している」というのが正しいように感じられる。

 

 男性の場合には、基本が前後方向のリンクなので、不要と判断した部位からの情報を切り捨てることも比較的簡単だ。その分、ネットワークへの負荷が軽くできるし、「今自分にとって必要な情報だけ」を取り出して集中的に処理することがやりやすい。

 たとえば「男性は、テレビを見ているときに話しかけても反応しない」ということが良く言われて、これが奥さんからの不満になっていたりするようだけど、テレビを見るといきに会話という処理は不要であり、切り捨てているのは当然なのだ。

 

 一方、女性のような密結合なシステムでは、これらが同時進行できる。これをもって「複雑だ」とか「マルチだ」というわけだけど、実のところ、こういうシステムだと同じことをやるにしても、不要な情報を切り離すことが簡単にはできないので、どうしてもトラフィックが高いままで、ネットワークの負荷が重くなってしまう。特に左右をつなぐ脳梁部分の大きさにも限度があるわけで、あまりにも情報が多いとここがボトルネックになってくるだろう。

 

 脳の場合、ネットワークを構成しているのも脳細胞なわけで、恐らくはこれだけ負荷が重い分だけメインテナンス時間も必要だろう。女性のほうが睡眠時間がより長く必要だと言われたり、アルツハイマー認知症を発症しやすい原因のひとつが、こうした「常時高負荷状態」にもあるのかもしれない。

  また、女性の方がいわゆる「ヒステリー状態」に陥りやすいのは、セロトニンの分泌量が男性より少ないということもあるのだろうけど、こうしたネットワーク上のデータ量過多に陥りやすいということもあるのではないのかな。

「女性のほうがストレスに強い」は間違い

「男性のほうがストレスに弱い。女性のほうがストレスに強い」というのも良く目にする記事だが、お医者さんに言わせると、どうもこれは俗説に過ぎないということだ。実際、PTSDうつ病といったストレスが引き金となっていると思われる精神疾患は女性のほうがはるかに多いらしい。

 

ストレスへの対応について日本精神神経学会での報告があって面白かったのでリンクしておこう。

https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1120050516.pdf

 

 色々書いてあるので、抜粋してみたけど、やっぱりたくさんありすぎて疲れるので、「抜粋の抜粋」で次の4点だけ引っ張ってみた。

1)PTSDパニック障害

 女性が男性の2倍くらいの率となっている。

 

2)ストレスがかかったときの行動

・男性は戦うか逃げるかという行動をとりやすい(逃げるという中には酒に逃げる、薬物に逃げる・・たぶん自殺というのも逃げなのだろう)

・女性は子供を守ったり、同性同士で群れるという行動をとりやすい

 

3)ストレスに対する反応

 男性の方がより敏感に反応する。男性は他者との優劣などに、女性は仲間からの疎外といったものに反応しやすい。

 

3)コルチゾールの分泌

 コルチゾールは交感神経を刺激する。ストレスに対して、男性の場合にはコルチゾールを分泌する傾向が強いようだ。

 女性ホルモンのひとつ、エストラジオールがコルチゾールの分泌を抑制しているようで、男性にもエストラジオールを投与するとコルチゾールが減少するし、エストラジオールが減少する閉経後の女性は男性以上にコルチゾールが増加する。

 

4)オキシトシンの分泌

 ストレスに対して団結を促すオキシトシンが分泌されるが、これはエストラジオールがオキシトシンの効果を増強する。オキシトシンは乳汁の分泌などにも作用するけど、他者との良好な関係が築かれているときにも分泌されて、相手を信頼したり、闘争欲や恐怖心を抑制する作用もある。オキシトシンを与えると盲目的に相手を信用してしまう傾向があり、二度三度と騙されるということにもなるらしい。

 

 ということだ。非常に乱暴なまとめかたをしてしまえば、ストレスがかかったときに、

・男性はコルチゾールの働きで交感神経を活性化させて、戦う、あるいは逃げる体制に入る。

・女性は女性ホルモンの働きでコルチゾールはあまり分泌されない。また、エストラジオールはオキシトシンの働きを強める。この結果、周囲の人と集まる(群れる)行動を取りやすい

 

 ということになるようだ。これだけのことからでも、いろいろと思い当たることがらがある。

 たとえば、ストレスがかかったときに、女性にとっては「自分の周囲に人がいること/集まること」を求めがちだけど、男性にとっては「戦うか逃げる」が至極当然の行動なのだ。

 逃げるというのには、酒におぼれるなんていうのもあるけど、一番穏やかなところでいえば、「他者との関係を絶って黙る」というものだ。

 

1)男性が黙るのはあたりまえ。家族は支えではなくストレスか 

 男女関係について記事を見ていると、「男性は喧嘩になると黙るからずるい」とか書いていたりするけど、これは男性の対ストレス反応としてはごく自然なことだ。

 また、結婚や恋愛推奨記事を書かれている方は「辛いときに傍らにいてくれる人がいることが良い」とか書いていたりするけど、これを本当に感じるのは女性、あるいは女性的な脳の持ち主の話だろう。男性にとっては本当に辛いときにはあまり干渉してほしくない。家族のような密な干渉というのは避けたいところだろう。

 これを裏付けるかのような研究結果もあるようだ。それによると職場よりも家庭にいるときの方が強いストレスを感じているという話である。

 「転んだときに横でじっと見守っているのが友情、手を差し伸べるのが愛情」という言葉があるけれど、これは男性同士の微妙な距離感の取り方をあらわした言葉と言えるのかもしれない。

 

2)中年以降の女性のオバタリアン化 

 中年以降の女性がいわゆる「オバタリアン(死語かな?)」化したり凶暴な感じになるのは、女性ホルモンの減少でコルチゾールが増加するためだろうか。

 

3)避難行動の男女差

  3・11のときの避難行動についての調査にも男女差が見られる。たとえば「避難したきっかけ」を見ると

http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h24/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-00-14.html

 女性の場合「家族、または近所の人が避難しようと言ったから」など、周囲と協調行動を取りたがる傾向が強くみられる。大きな災害時に女性の方が犠牲になる率が高いというのは、こうした行動故に「共倒れ」が起こりやすいためかもしれない。

 ある程度の問題に対しては群れるほうが有利かもしれないけど、集団になっても対処しきれないような問題に至ったときは、個別に「Fight or Flight」を選択する男性が優位になるということか。

 

 ちょっと離れるけども、同じような災害にあわれた方のなかでPTSDを発症した人の扁桃体は発症していない方の扁桃体よりも小さめであることが知られている。そして、男性の扁桃体はもともと女性よりも大きいということも知られている。 

 ストレスがかかると扁桃体が肥大化する。これが「うつ病」のはじまりだということだ。同じ体積だけ大きくなっても、もともと扁桃体が大きい男性の場合の方が分母が大きい分だけ影響が少ないのだろうか。

 

 3・11の後の追跡調査でも、男性より女性の方にフラッシュバックなど、PTSDと見られる症状を発症している比率が高いらしい。

 

 「女性のほうがストレスに強い」が間違いだということは言えるだろう。短期的には自殺などを選択してしまう男性のほうが弱く見えるけれども、いったん乗り越えた後、長期的には男性の方が強いということかな。

 

***************************

 ストレスに対応して交感神経が活性化すると、アドレナリンやノルアドレナリンが放出される。

 ノルアドレナリン量は40歳以上の女性では年齢と正の相関関係がみられる(年齢とともに増加する)

 女性の場合、自身の「健康感」が低いとノルアドレナリンの量も減る。(男性はあまり関係ない)

 急性のストレスに対して男性はノルアドレナリン量が増加するが、女性はほとんど変化しない。

 

 パニック障害PTSDの有病率は女性が男性の2倍ほどとある。これは3・11の後の追跡調査データとも一致するようだ。

 

 副腎皮質ホルモンのひとつ、コルチゾールはストレスに対処するため分泌される。男性は学力テストなど、他者との競争や知的劣等感と繋がるようなタイプのストレス、女性は仲間はずれなど社会的拒絶からくるストレスで増加するが、概してストレスに対するコルチゾールの分泌は男性のほうが多い。

 つまり、男性のほうがストレスに対して交感神経が活性化しやすく、女性のほうが抑制的だということになる。

 

 男女とも高齢になるほどコルチゾールの分泌量は高まるが、女性の方が増加が著しく、男性の三倍程度の影響度があるようだ。また、コルチゾールの生成はエストロゲン(女性ホルモンのひとつ)によって抑制されるらしい。

 

ストレスに対する反応は、男性は「戦うか逃げるか(Fight or Flight)に向かうのに対して、女性は子供を守る(Tend)や女性同士で集まる(Befriend)の傾向にあるようだ。

 女性のばあい、ストレスに対してオキシトシンが分泌されるらしい。これは「群れを作る」行動をとりやすい。

 

 メスのラットを集団で飼うと単独のときより寿命が40%延びる一方で、オスの場合には単独の方が長生きするという研究データも発表されている。

 

結婚と自殺率

 良く言われるのが、「結婚している男性の方が未婚男性より自殺率が圧倒的に低い」というものだ。これをもって「配偶者がいる、家庭があるというのが支えになっている」という中間地点を経由して「恋愛・結婚する方が良い」という結論を導くというのがお決まりのコースになっている。

 ここで、厚生労働省の資料を見てみよう。

http://ikiru.ncnp.go.jp/pdf/1003301.pdf

 この資料で「有配偶」とは今現在婚姻関係にある人、未婚とはいままで結婚したことが無い人、離別は離婚した人、死別は配偶者が亡くなった方を指す。

 だいたい取り上げられやすいのは5ページ目の自殺率(件数ではなく、人口10万人あたりの人数である)グラフで、なるほど「有配偶」が一番低くて、「未婚」は「有配偶」の2倍以上高い値を示している。

更には「離別」と「死別」がずば抜けて高い。

 最初に掲げたような記事を書かれている方々は、これらのデータから、「配偶者がいることが良いことなのだ。精神的に落ち着けるなどの効果があるのだろう。結婚できなかったり、連れ合いが居なくなった男性はそういう支えがなくないため、自殺に至りやすいのだ」としているわけだ。

 

 このデータだけからなら、そういう結論を導きたくなるのもわかる。が、そこには大きな要素が抜けている。それをはっきり示したのが、次の6ページ目にある、「有職/無職」を絡めた結果だろう。

 一目瞭然である。いろいろなことが読み取れる。

1)自殺率に大きな影響を与えるのは「職の有無」だということであり、有職者の場合の自殺率はいずれもごく低い値にある。

2)そして、特に男性・無職・離別者の三つが重なった場合の高さがずば抜けて高くなっている。

 この二つから想像されるのが、リストラや会社の倒産、家庭の事情などによって無職となった結果離婚し、自殺に至るというものだ。結婚さえしなければ、同じ「無職者」でも「未婚者」のカテゴリに入っていて、自殺を免れたかもしれないというのは深読みしすぎか。

 また、降格人事や閑職への異動、片道切符転勤・出向など、退職に追い込むためのステップに巻き込まれた結果として離別に至った場合には「有職」扱いになるので「有職・離別」カテゴリに分類されることになる。

 とすれば、「有職・有配偶者」の自殺率の低さというのは自殺リスクの高い方々をスクリーニングし、除外した結果として低くなっているだけではないだろうかと予想できるのだ。

 

 更にこれに追い討ちをかけるように、家庭が支えに・・という主張に疑問を投げかけてしまうのが

3)35歳から54歳くらいの働き盛り世代の無職男性についてみると、配偶者ありの場合の自殺率が、未婚者をやや上回っている。

 

 ということだ。一番の働き盛りな年齢で、日ごろのストレスも多いであろう時に大きな事態に直面したとき、家族が支えになっていない。それどころかプレッシャーにさえなっているような様子が目に浮かぶ。会社を首になったことを家族に言えず、毎日スーツ姿で”公園出勤”する姿だろうか。いずれ家庭内不和となって、「離別者」カテゴリに入っていくのだろうか。

 

 では、女性の場合はどうだろう。男性の場合と異なり、無職の場合に「有配偶」「未婚」「死別」「離別」がきれいに並び、特に「有配偶」が極めて低くなっているのがよくわかる。

 有配偶者の女性の場合、仕事で何かあって無職となってもほとんど関係ないとみるべきなのか、もともと専業主婦がかなり多いので比率として現れないのかはわからないけれど、少なくとも結婚している状態というのが大きな影響を与えていることは想像に難くない。

 

 結婚のメリットとして、「精神的な(多分、金銭的にも)安定が得られる」とか「いざというときに助けあえる(これまた、金銭的な面も多分に含まれるだろう)」などを掲げている方は多い。特に「結婚したがらない男性」を直接的、あるいはやんわりと攻撃しているような記事のライターさんにはその傾向が強いようにお見受けする。

 

 しかしこの自殺率データを見ていると、実はそうしたメリットを享受できるのは女性であって、男性にとってはそれほどのメリットは無いのではないだろうか。それどころか、むしろ精神的な重荷になっているだけではないかと思えてしまうのだ。

 

 あいつも・・・結婚さえしなければもっと長生きできたのに・・・

 

こういうことになるのかもしれない。

男脳と女脳とコミュ力と

 「話を聞かない男」とか「地図が読めない女」とかいう区分をはじめ、世に男脳・女脳の話題はずいぶんとある。

 が、別に性別=脳構造というわけでもないことは良く知られているとおり。これは単なる個人的な感じではあるけれど、だけど、一般的に言って男性の方が色々な意味でのばらつきが大きい(ずば抜けてすごいのがいれば、とんでもなく駄目なのもいる)気がする。

 もし、この前提が正しく、またこれが脳についても言えるということだと、男性には「ガチガチの男性脳」から「並みの女性以上の女性脳」まで、バリエーションに飛んでいるということになる。

 

 近頃、男性のコミュニケーション能力を問う記事も良く目にするが、これらを見るたびに首が傾くどころか折れてしまいそうになる。(コミュ力、コミュ力と書かれると、なんだか全部カタカナ読みしそうになってしまうな)

  コミュニケーションといえば、双方向の情報伝達を図るということで、特に一方からのアクションに対してもう一方がそれに反応してアクションを返すということになるだろうか。

  こうしたやりとりは言語によるものとは限らないので、おおよそ動物という動物はみな(最近の研究だと植物もそうらしいけども)互いに何らかのコミュニケーションをとっていると思って良い。

  ただ、言語というものによって人はかなり複雑なことまで伝え合うことができるようになったので、こうした場で「コミュニケーション」というと、言語による相互のやりとりが主だったものになる。

 

 さて、ここまではいいのだけど、問題はその先だ。いったい何を伝えあうことを”コミュニケーション”と称しているのだろうということだ。なんでもかんでもコミュニケーションと呼んで「コミュ力」なんて略しているけど、本当に全部まとめてしまって良いのだろうか。

 

 ビジネスの場でのコミュニケーションといえば、とにかく情報を正確にきちんと伝えることであったり、駆け引きであり、互いに納得できるところを探す作業であり・・ということだろうか。好きだの嫌いだの、悲しいだの楽しいだのなんていう感情は基本的には関係ない。特に今は第三者の目も厳しい。後日その場にいなかった人が見てもきちんと納得できるような文書化されたデータに裏打ちされていなければそれこそ首が飛ぶ。ただ、そうはいっても、そこはそれ人間同士という面もあるわけで、完全に割り切っていけないこともある。これを仮に「ドライ&ウェットなコミュニケーション」と呼んでおこう。

 

 さて、もうひとつ別のタイプのコミュニケーションとして挙げられるのが専門家間のコミュニケーションである。こちらはまさに技術や専門分野でのやりとりなわけで、そこには「人間性」なんていうものはほとんど入り込む余地は無い。こちらを「ドライなコミュニケーション」と呼んでおこう。

 

 さて、こららと決定的に違うのが恋愛関係での「コミュ力」記事を書いている人たちの頭にあるものだ。読んでいると、重視しているのは感情表現であり、共感であり、他愛のないことで盛り上がったりということであったりといったところであって、場合によってはそれこそが至高のものだといわんばかりの書きっぷりだったりする。

 こうしたものから想像すると、彼らのいう「コミュニケーション」とは、女子会のノリであり、近頃テレビのバラエティ番組を石鹸している、タレントを階段状に並べてわいわいとやる、俗に「ひな壇番組」と呼ばれるものの盛り上がりや話の流れのようなものをイメージしているのではないのだろう。

 こうした感情面の共有などに重点を置いたものを「ウェットなコミュニケーション」と呼ぼう。

 

 もう気付かれたとおり、ウェットなコミュニケーションでは女性脳が圧倒的に優位である。そして、いわゆるお笑い芸人さんなどを含め「言葉で商売」している方々には女性脳な方が多い。実際にテレビ番組の「男脳・女脳」テストをしてみた場面も何度か目にしたけれども、色の識別が得意な一方で、立体空間の把握(同じ形の立体を選ぶとか、立体図と合致する展開図を選ぶなど)が苦手であるなど、女性的な傾向が見られた。「スタッフで事前に実験したときは男性はこっちが多かったのですが」とこぼしていたので、やはり喋りを得意とする男性は女性脳の持ち主が多いのだろう。今の時代のように恋愛でコミュニケーションが重視されると、こうした女性脳の持ち主が「恋愛強者」となることだろう。

 

 一方、ドライなコミュニケーションをとる場面というのは、人間対人間というより、”物”を介在させて人が集っているような状態だと言えるだろう。昔ながらの用語を使うならスペシャリスト的となるだろうか。

 必要な情報がきちんと伝わっていることが大事であって、相手との感情の共有なんていうものはほとんど重視されないのだ。これまた想像のつくとおり、こうしたコミュニケーションのとり方は「男性脳」の持ち主の方が得意だろう。

 そして、こうした方々にとっては目の前にある「物」こそが興味の対象であって、人間そのものにはそれほど深い興味は無い。たとえばある人を尊敬するといっても、それは相手の知識や技量などを尊敬しているのであって、別にその人自身を尊敬するということではない。

 

 さて、ドライとウェットの中間的な、ドライ&ウェットな部分だけど、完全に中間というよりドライ寄りのウェットと見た方が良いだろう。女性脳的な特質を持った男性が有利と見るといい。これまた昔ながらの言い方をすればゼネラリスト的・・・営業マン向きと見ても良いかもしれない。

 

 もちろん、こんな風にきれいに三分割されるものではないけれども、こんな具合に分けてみると色々なことが見えてくる。

 「職人気質」といえば、寡黙であるというイメージがあるのも、「男は黙って○○ビール」なんてCMがあったのも、サラリーマン同士での会話が仕事の話ばかりだいうのも当たり前。「夫婦の間で会話が無い」というのも、それはそうでしょうとなる。

 また、「男社会で働く女性にはストレスが・・」というけれど、それはコミュニケーションの質がまったく違うからだと見れば納得がいく。

 

 そう、「コミュニケーションの質」が違うのだ。昔からウェットなコミュニケーションが得意な男性はいて、俗に「色男」と呼ばれていたのだろう。

 一方、ウェットなコミュニケーションが苦手な男性の中でも必死に女性の尻を追ったりしていたものがいたけれど、これはほとんどが性欲からきたもので、異性にに対して幻想を抱き、欲情し、それらに突き動かされたいたのだろう。そもそも、こうした男性の場合「恋愛」そのものにはほとんど興味が無かったのだ。

 ところが、こうした幻想が幻想に過ぎないことがわかり、欲情は代替手段に取って代わられた。つまり、それぞれが無理をすることなく、一番居心地の良い状況に居続けることになったのだろう。

 

  そういえば、近年、面接をすると女子学生の方が元気であったり、コミュニケーション力が高く見えるというのも、面接では「ウェット」な方が有利になるからだと見れば至極当たり前の結果である。昔は不純な動機ではあるけれども、それなりの「ウェットなコミュニケーションの練習」をせざるを得なかった層は消滅していっただろうし、「朴訥としたスペシャリスト的な人」は「元気が無い」判定をうけることになるのだ。

 とはいえ、実際の仕事の場となれば話は別。数年たつと優秀だった女子学生よりぱっとしなかった男子学生の方がぐんぐんと伸びていくなんていうのも良く聞く話である。

 

 昔ならこうしたドライなコミュニケーションをとるタイプでも「ほんと、口下手でしょうがない」ということで周囲が放っておかなかったのだろうけど、今はそんな時代でもない。

 

 「異性に興味が無い」「恋愛に興味が無い」「結婚する気が無い」という男性の比率が上がっているということを、「逃げているだけだ」と言われたり、「しないんじゃなくて、できないんだろう」と揶揄されたりもするけれど、実は女性的な意味合いでの「恋愛行動」に興味がある男性というのは最初からそのくらいの比率しか居なかったのではないのかもしれないと思うのだ。それ以外の男性は”恋愛”ではなく、”性欲”に突き動かされていただけだったということではないのだろうか。

 

 もちろん、恋愛に興味が無いからといっても、家庭というものを全否定しているわけでもないということは当然だし、家族の存在で幸福感を感じないということでもない。それは昔から「お見合い」という制度が補っていた結果を見ればよくわかる。

 今日のように女性脳を持った男性ばかりが優位になっていくと、遺伝的に男性脳の持ち主が減るんじゃないかということはちょっと気がかりでもあるし、少子化対策だというなら、こうした男性脳な男性にもっと光を当てていかないといけないんじゃないだろうか。